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172年ぶりに蘇った祈りへの入口

#デザイン#再現#尾上 恵治#建築#歴史#高野山#高野山建築探訪

高野山

壇上伽藍 中門

壇上伽藍の入口にある中門は、1843年の大火で焼失して以降、長らくその姿はありませんでしたが、高野山開創1200年記念大法会の記念事業として、2014年に再建、翌2015年に落慶法要が執り行われ、見事に蘇りました。

 

ナビゲーター:株式会社尾上組 代表取締役社長 尾上 恵治さん

神様と仏様がいらっしゃる場所へ

段の上にある壇上伽藍は、高野山で一番祈りが捧げられる場所ですが、その入口が中門です。いまから約800年前、鎌倉時代に神様と仏様がいらっしゃる場所のシンボルとして、今の中門の形がだいたい決まりました。門が2階建てになっているのは、どちらが上や下ということではなく、神様と仏様が両方いらっしゃる場所ですよという表現なのです。ちなみに2階部分は神様と仏様の場所なので、人があがれるようには作られていません。

鳥居と同じように、聖域との結界なわけですが、ここまで大きく立派な建造物を作った目的は、お参りいただいた方に「わぁ」とか「おぉ」と感心いただき、信者としての信仰心をさらに高めていくためだったのだろうと思います。そうやって1200年、高野山は絶えず信者を獲得し、寄進を集め、それによって壮大な壇上伽藍が築き守られてきたという循環の歴史があったのでしょう。

礎石の跡

中門の前に、礎石の跡が残っています。実は私が子供の頃は、現在の中門も無いのでボーイスカウトのテントを貼ったり、礎石をベース代わりに野球をしていました。中門を再建しようという話になった時、本当はこの礎石の位置に建てたかったんです。ところが、発掘調査によって、地表に出ている礎石の下から別の礎石や焼けた土などが見つかり、貴重な史跡であることがわかり、同じ場所に再建するわけにはいかなくなりました。

中門建設前の様子(2009年10月撮影)

高野山で揃えられた材料

中門が819年に創建されてから、いまの中門で八代目となります。現在の楼門形式になったのは鎌倉時代です。様式や高さは古絵図などを参考に、鎌倉時代の中門に近づけるよう丁寧に設計されています。幅25m、高さ16m、奥行き15m、屋根は檜皮葺です。

木材には高野山で育てられた木が使われており、中門正面左から3本目の柱は、壇上伽藍・西塔の奥にある木が使われています。樹齢370年以上もあるのに、丁寧に枝打ちして管理されてきたため、節が一つしかありませんでした。

中門建設に使われた木

極楽浄土の色彩

塗装は鎌倉時代に使われていた五色が使われています。赤(朱)はベンガラと呼ばれる色で成分は酸化第二鉄です。インドのベンガル地方から伝来したのがなまってベンガラと呼ばれているそうです。緑は十円玉にも見られる緑青です。白は胡粉、黒は松脂です。鎌倉時代の中門も、このように極楽浄土を想像させるために派手な色彩でした。

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