PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

PEOPLE

進化を続ける江戸の染め文化

#デザイン#伝統工芸#富田 篤#江戸#職人

株式会社富田染工芸 代表取締役社長

富田 篤さん

東京都新宿区。神田川・妙正寺川の流域を中心に、染色にまつわる多くの工房があります。1882年に浅草で創業した江戸小紋・江戸更紗等の染め工房「富田染工芸」も、1914(大正8)年に神田川を遡って現在の早稲田に移転し、5代にわたって東京の染め文化を現代に伝えています。5代目、富田篤さんに、お話を伺いました。

 

家業である染め工房には、小さい頃から関わられてきたのですか?

幼い頃から、私の家には職人さんが住み込み、衣食住を共にしていました。日の出と共に起きて庭の掃除をし、ご飯を一緒に食べてから学校へ行く生活でした。学校から帰ると糊桶を洗うのを手伝って…という日常が当たり前でした。

ただ実は、長男ではありながら、思春期というか反抗期だったのでしょうか、いつまでも着物染めをやっていてもな…と考え、大学では法学部に入り、弁護士になるための勉強をしていました。法律の試験を受けるために担当の先生の下について勉強をしていたのですが、ある時「弁護士というのは、試験を何年も何回も受けて、30歳40歳になって初めてなれるものだ」というような事を先生に言われました。

その話を父に話したら、「そうだろう、4年間法律の勉強をして、世の中のことが少しはわかっただろう。じゃあ、後を継ぐと決めて京都の染屋か問屋に言って勉強してこい」と言われました。小学校3年生の頃から着物の世界に入って、問屋や呉服屋に着物を納めたり、集金するような経験はしていたので、じゃあ何も知らない洋服の分野を経験しようと決意しました。

カネボウとミカレディという婦人服屋さんの就職試験を受け、ミカレディに入りました。物を作って売るという商店に入って7年くらい、好き放題にやらせてもらいました。それまでミカレディの主力はセーターのブランドだったのですが、「社長、スポーツウェアを作りましょう!」と言ってテニスウェアや水着のブランドを作りました。ヨーロッパのローブ・デコルテというパーティドレスの分野も開拓して高島屋で販売したこともありました。そうした分野も好きなんです。

それから、父がだいぶ歳を取ってきたとき、「いよいよどうしようもないから、もう帰ってこい」と言うので家業に帰ってきました。

現在は、息子さんに一部の事業を託されているそうですね?

着物が右肩上がりの事業ではない中で息子にやらせても…という気持ちはありました。彼は高等部まで日本の学校にずっと通っていましたが、親戚のいるシンガポールに遊びに行かせたところ、「日本の高校をやめてシンガポールのインターナショナルに入る」と言って帰って来なくなったのです。そういう部分は自分に似ているのでしょうかね(笑)。

インターナショナルスクールを出た後、今度はメルボルンの大学に入って帰ってきませんでした。華僑やタイ人たちの商売上手な人達と出会って面白かったようです。息子が日本に帰ってこないので、家業はうまく軟着陸させて畳もうかな…と考えていたら、息子が30歳になって突然帰ってきて「親父の後を継ぐ!世界の中で日本の工芸は素晴らしい!」と言い出したのです。私はもうやめるつもりでしたが、やりたいと言うなら「じゃあ頑張れ」と言ったのです。

それは…、型紙ですか?

これが染色用の型紙です。大切な道具ですが、紙だから破けてしまえば細かい柄が消えて駄目になってしまう。そうすると二度と同じ型を掘り起こすことはできません。1枚しかないから。

複数枚掘っていれば良いけれど、特に残しているわけではないから、これが破けたら終わり。一つの日本の文化が消えていくようなものです。これを、どうにかして残していくことを、私のこれからのライフワークにしようと考えています。例えば型をスキャニングしてデジタル化して残しておけば、原型として他のデザインに使うこともできると思うのです。

国は物を売ることが絡んでくると補助金を出してくれないので、例えば民間の印刷会社にデジタルアーカイブを担ってもらい、コラボができないだろうか。江戸小紋だけでなく、古い技法を残しながら、紋様のアーカイブを色々なもの、例えばカーテンに転用するなどすれば、世界を相手に新しい勝負ができるのではないでしょうか。

富田さんが大切にされていることを教えてください。

一番大事なのは世相の流れ、流行については、私は常に考えています。今流行っているミニスカートがどんなものか、色はどういう系統が好まれているのか、フルーツカラーなのかベーシックカラーなのか、など情報は常にインプットしています。やはり世の中の流れに出していける商品を作っていきたいですから。

これは日本の民芸と言われる大正時代から昭和にかけての工芸を新しくした人たちの本です。この人たちのように、ただ売れるからと同じものを作る姿勢ではなく、新しいポジションとしての工芸を生み出していく気持ちが大切だと思っています。

過去から未来へ文化を伝えていくことについて、お考えを聞かせてください。

人の営みを繋いでいくことが文化で、伝統はその文化を繋げるための技術なんだと思っています。だからもし、人の流れがガラッと変わってしまったら、文化が途絶えてしまうことはあるのだろうと思います。

伝統とか、そうした一つの拘りだけに囚われていては駄目だと考えています。そうではなく、芸術や自分のセンス、ファッションなど、私はこういうものが好きだと感じて接してくださる方々と、是非お付き合いしたいですね。

富田 篤(とみた あつし)

学習院大学法学部卒業後、株式会社ミカレディに入社。1977年に株式会社富田染工芸に入社し、常務取締役、専務取締役を経て、1996年に代表取締役社長に就任(現在に至る)。この間、東京都青年会議所役員、通商産業省伝統工芸品産業審議会委員、東京商工会議所小規模企業振興委員会副会長、一般社団法人全日本きもの振興会理事、東京染小紋伝統工芸士会会長、東京都染色工業協同組合理事長、全国染色共同組合連合会副理事長等の要職を歴任。きものや染色に関する、わかりやすく面白くかつ奥行きのある講演・講義は各方面で好評を博し、武蔵野美術大学や富士短期大学など多数の大学で講師を務め、東京の染を世間に広める活動は高い評価を得ている。2022年4月 旭日単光章受賞。

文化を伝える人たち

PEOPLE

おすすめタグ

RECOMMENDED TAG

もっと楽しむ高野山
興福寺国宝特別公開「五重塔」

01

02

/ 02