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細部に宿る銀器の魅力

#上川 宗達#伝統工芸

宗達アートクラフト株式会社

上川 宗達さん

東京都台東区で「宗達アートクラフト」という東京銀器の工房兼ギャラリーを構える東京銀器伝統工芸士、銀師(しろがねし)の上川宗達さんを訪ね、伝統工芸や銀器への想いを伺いました。「東京銀器」は、台東区や荒川区を中心とした、主に東京都で作られている金属工芸品です。江戸時代中期に、銀師と呼ばれる銀器職人や、金工師と呼ばれる飾り職人が登場したことが東京銀器のはじまりだと言われています。

上川さんは、東京銀器をどのように継承されたのですか?

江戸末期まで系図で戻っていくと、平田禅之丞(ぜんのじょう)先生という方が東京銀器の祖と言われている方で、そこから九代まで平田家の家系が続き、一番最後が九代の平田宗道先生という方です。宗道先生の息子さんは継承されなかったので、私の祖父が一番弟子になりました。そして平田宗道先生の「宗」をいただき、宗照という名前をつけて祖父が初代上川宗照。そして私の父が二代目上川宗照と名乗り、この「宗」と、私の名を組合せ、自分は上川宗達としています。

家業を継ぎ「宗照」という続いている名を守っていくことも大事だと思っておりました。ただ、私は今ある現状を新しく進化させたいという気持ちが強かったので、自分の名前として上川宗達でやっていこうと決意しました。

銀器とはどういったものなのでしょうか?また、新しい試みなどがあれば教えてください。

東京銀器で作った伝統工芸品でよく知られているのは、大相撲の大きい優勝カップでしょうか。今でも使われているのは祖父たちが作ったものなんです。また銀器には、伝統工芸の要件というものがあります。925(※)以上使いましょうとか、叩いたり、彫ったり槌目を入れたりとか、模様を入れて加飾しましょうとか、そうした技術を使って色々なものを作っていくところが特徴です。

※銀の純度の割合。925 は 92.5%が銀、7.5%が胴。99.9%以上が純銀とされる。

でも、銀器といえば何かと聞かれ、想像できる品物がないですよね。時代の生活様式に合わせて作っていくのが銀器の基本的な考え方だからでしょう。昔は、やはり生活空間は和室がメインでしたから、その空間に合った物が作られていました。 でも今は和室が減って洋風インテリアが主流となり、家具にこだわる方がいたりします。私は、例えば1枚板のテーブルであればそれに合う器だったり、時代とともに変化していくインテリアや空間に調和したものを作ることが肝心だと考えています。

また今までの銀器は内側をツルツルに鏡面加工で綺麗にする事が当たり前でしたが、私は内側にも槌目の模様をあえて入れているんです。お茶を入れたときに綺麗なんです。更にこれでスインググラスを作って回してみると、更に光が反射してキラキラするんですよ。

伝統工芸を次の世代に継承していくことについて、どう思われていますか?

同世代で工芸をやっている人たちと話すと、皆が本当に仕事を楽しくやっているという共通点があります。伝統を背負っているから自分が継いでいかねばならないという事もあるとは思いますが、自分の技を極めるとか、新しい価値を作るとか、皆が目を輝かせて話してくれます。私には中学生と小学生の息子が二人いますが、絶対にこの仕事をやらせなきゃいけないとは考えていません。本当に好きだったらやればいいし、逆に好きじゃなければこの業界で続かないと思うんですよね。だから自分の子供にやらせる事はできるかも知れないけれど、やって欲しいとは言いません。むしろ銀器を頑張って進化させたいという気持ちや想いがあって、銀器を本当に愛してくれる人だったら、誰でも構わないと思っています。

上川さんが、この世界でやってこうと思ったのはいつ頃ですか?

小学校の卒業文集に「銀器の仕事をやる」と書いていました。小さい頃、夜中に 1階のトイレに行くときに、工房の裸電球の灯りの中でシュッシュッってヤスリをかけてる父親の背中をよく見ていました。私は四人兄弟の末っ子だからか兄弟の中で私だけ母親っ子で、母を通じて「お父さんの仕事はかっこいいんだよ」と父の仕事についてよく聞いていました。母の影響は結構大きいですね。

私の場合はそうですが、新しい人たちがこの世界にもっと入りやすい環境を作っていかなきゃいけません。伝統工芸という古くから受け継がれていることを守りながら、新しい価値を作っていく人たちを発掘していくことも大切です。

日本の伝統工芸が好きな方々に伝えたいことはありますか?

伝統工芸が本当に好きで応援したいという方々はいらっしゃり、よくお店にも来てくださったりします。

私は18歳からこの世界に入り、何度も先生から「やり直し!」と言われ、悔し涙を流しながら伝統工芸の技術を学んできました。100点満点のうち、50点60点は努力すれば結構行くんですよ。でも80点位から一気にレベルが高くなり、90点になると何回やってもたった1点を増やすことが難しくなってきます。その1点は自分の気持ちや、そこに対する想いで大分変わってきます。例えば、ヤカンを進化させることを考えた時、口元は先代が研究して到達している形状が既にあります。それをまず「なぜこの形状なのか?」を理解した上で、新しい形にトライし、変えてみたりします。ところがそれが、水切りが悪くなったりとなかなかうまくいきません。じゃあ今度は厚みを変えて薄い部分と厚い部分を作ってみよう…と、見えない部分や無駄に見える所にも挑んだ先に1点が隠されていたりします。

以前、アメリカやヨーロッパ等海外の方に取材していただいたことがありますが、その方々が「西洋人には感覚やセンスが優れている人は沢山いるけれど、一つの工程や細かい模様へのこだわりは日本人に勝る人種はいないんじゃないか」と話していて驚かされました。銀器の歴史は西洋のほうが古いですから。

作品づくりにおいて、私は「F分の1の揺らぎ」をとても大事にしています。規則性がありながら、不規則なところが入ってくる。機械ではできない揺らぎの部分、人の手だから表現できるところを大事にしています。規則的に見える槌目の中に不規則なところを入れていく、といったように。そうした細部に目を向けて工芸品を見てもらえると、新たな発見があると思います。

上川 宗達(かみかわ そうたつ)

1980 年、銀師の家に生まれる。小学生の頃からこの道に入ることを意識し、父二代目上川宗照に師事して鍛金技法を学び始める。高校を卒業して重要無形文化財保持者(人間国宝)である奥山峰石氏に師事。2011 年に当時の最年少最短で伝統工芸士の認定を受け、2021年宗達アートクラフト設立。

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